結構わけのわからんことをやっていると、大変面白いことが発見できる。
ってのは、先日、ラジオを聴きながら、モニターでは、お料理を無音で流していた。
音楽はなにが、流れていたのかなぁ。ちょっとうる覚えだが、たぶんリヒャルト・シュトラウス先生か、ラフマニノフ先生だったと思う。
音楽ってのは、見えないんだよねぇ。
まぁ、ある程度の人になると、音符が見えてはいるんだろうけど、その先にあるものが見えない。
見えないものをひたすらに見ようと、捕まえようとする行為だよね。
って、思ったのは、無音でお料理を見ていたからなんです。
音がないから、もちろん字幕もないんで、そのお料理がどんな味であるか、言葉による説明がない、音による説明がない。
これ、和洋中の、一流のシェフが、卵を使った料理を、絶品料理をふるまうっていう企画だったんですが
食べている人が、それなりの学がある芸人さんで、使う言葉もしっかりとしていて、まぁ、人様としては、ちゃんとした人だと考えます。
で、みるからにおいしそうなんですよね、その料理人が作る料理。
でも、無音だから、わからない。と、思ったら、その食している人の表情を見るだけで
それがどんだけ素敵で美味しいのかが、手に取るように、耳で聞いたようにわかる。
むしろ、聴こえないからこそ、感じ得ることがあるんだな、と、強く強く思ったのです。発見。
というところから、目の前で流れている音楽は見えないのだけれども、なにか見えるんじゃないかなぁって、そんな事を思った。
音楽って、心地よさで、あれするんじゃなくて、その見えないもの、何かを、こう、やっぱり、掴みにいくということなのかなぁ。
いつになっても、摑まえられない、どこかにいる背の高い綺麗な女性、みたいに^^
ちょっと話違うけど、見えない場所にあるボルトを触って、緩めたり締めたりするときって、目をつぶるんですよ。
そうすると、見えるっていうか、ボルトは、ちゃんと料理できるんです。
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