現代美術ってのは、ニュートラルな感覚になる
って、言葉にひっかかって、
ひっかるというか、なんとなく共感できるというか
想像できるというか、ぼんやり掴めるような気がするというか
ま、要は、自分でもよく分かってないんだ。^^
昨年、サントリーホールさんの、なんか無料会員になってて
それで、無料招待のなにかがあったから、募集したら当選して
現代音楽ってのを、聴いてきたんだ。
ま、無料だから、いいだろうって感じで。
僕も40越えましたので、というか、この数年
やっと、コンサート行くのを解禁したので
そこそこ、聴いたんだと思うんですね、3年くらいで
で、少しだけ、なんとなく、掴んでたことがあった。
そりゃ、作曲家っていう人は、人たちは、なんだか
とっても頭の良いひと、良すぎる人なんだってことが
今は、頭の良い人たち、がする仕事はいっぱいあるけど
昔は、あんまりなかったんだろうなぁ
だから、最先端の音楽家、作曲家になっただけなんじゃないかな。。
音楽ってのは、気持ちの熱い人、好きな人がやるもんだ
って、思ってたんだけど、それはちょっと違うんじゃないかって
最近気が付いてたの。昨年あたりに。
だって、最近、音楽聴くと、オケ聴きにいくと、
うわ、なんて頭いいんだ、ベートーベン先生とかね
そうなっちゃうの。
そんなことを想ってて、現代音楽を聴きに行って
おおおおおーーーーー、やっぱり、作曲家ってのは馬鹿みたいに
頭のよい人種なんだ。
あの音が、おそらく、頭の中で組みあがってしまって
それを、五線紙に落としているだけなんだな。
むかつくほど、頭いいじゃないですか。みなさん^^
そんなことを想いながら、そのサントリーホールでのコンサート
ほとんどが、いまいちで、というか、あ!!!って思う曲が
2つほどあって、そこで、はじめて現代音楽が存在する意味
作曲する意味を感じられた。
やはり、挑戦し続ける必要があるんだ。
五線紙と戦い続ける必要があるんだ。
人間はね。
僕は、人間の精神性は、ある時期に、絶頂を迎えて
ただ惰性で生きて行っているだけと、作曲家を通して考えていました。
が、全面否定されたんだ。自分に全面否定。
これ、よくあるパターンでしょ、
芸術家の人が、生きている間に、何度か、自己を完全否定する
という行為。
最近、僕は、気持ちが粋がってなかったので、完全否定までいきませんでしたが
眼から鱗、叶姉妹さんとトゥクトゥクに乗ってる感覚になった訳。
音楽は、美しいフレーズと和音の究極の形を通り越した後
いまは、なにを描いているかというと
あの頭の良すぎる人たちが描いているものはというと
空間と時間
なんだ。
その現代音楽を聴いたときに、
とてつもない空間と絶対的な時間軸を感じた
たぶん、宗教的な感覚もあるんだと思います、
時間が不可逆的で、生物の命、生、になんの意味がないってこと
そんな感覚を、太ももから全身にかけて鳥肌がたちながら
僕は感じたのです。
現代音楽すげー面白いよ。って、ぜんぜんなのほうが多いと思うけど。