毎日、カレーライスだけを食べてると、どうやら栄養のバランスがちょっとおかしいかな?いや、頭がおかしいんだろ^^みたいな。でも、疲れも溜まっているみたいなので、たまには、違うものも食べている、どーも大久保です。
世の中にはさ、大変理不尽なことが、たくさんある。理不尽が溢れている。理不尽の海を泳ぐのが人生のようなものだ。
と、言い過ぎかい?
理不尽を打ち負かすのは、さらに理不尽を他人に与えることだ
おそらく、世の中に溢れている理不尽ってそういうことなんじゃないかな。と思う。
いじめという形容がされている、犯罪行為、暴行傷害だよね、は、おそらく、自分の理不尽を打ち負かす為に、他人をいじめる行為なんだと思う。
まず、自分の降りかかってきている理不尽は、だれかの理不尽を回避する為に、自分が犠牲になっていると考える
そう考えることによって、理不尽が形のないものから、形のあるものに感じられる。
大久保は、頭の中でいつも、抽象的な形がただフワフワと浮かんでおり、その抽象的なものに、意味や感覚、感情、色などをさらに抽象的に持たせておく
その抽象的なモノが、頭の中でいろんな反応をして、新しいものが出来上がる。
最近は、っていうか、もう20年以上、こうやってhpやブログを書く事によって、頭のなかの抽象的なものを文字にすることができるようになった。
は、昔、よくあきたさんに言われてた、なにを言っているのかよくわからない。って^^
そう、言葉に表現することができなかったからね。
まず、理不尽というものを、形があるものとして認識してみよう
形を感じられたら、まずは、理不尽が感情や感覚ではなく、実像として捉えることができるでしょう。
さて、ここからです。その、みんなの理不尽をどうしたらいいのか。
先ほど、理不尽の解消には、他人を理不尽にさせることだと申し上げましたが
わかっておりますね、そんなことをしてはならんのです。いけないのです。
理不尽とは、人間が人間に行うものだから、人間と接しなければいい。と、僕は本気で思う^^
だから、僕は、あんまり知らない人が嫌い。っていうか、できれば、話もしたくない。って、いっつも思っているんですよ^^
でもね、現実的には、他人と接しないで生きていくことは、不可能。
となると、どうだろう、本当に困っている人に対して、隣人に対して、手助けをする。
損得勘定なしで、だれかを助けてあげる。ということを連鎖していくのがいいのかな。
もし理不尽から逃れられなさそうなら、全力で走って逃げろ!
そうするしかないなぁ。
でも、やっぱり、損得勘定なしで誰かの手になる、脚になる、というのが、一番なのかもしれません。
そういうことがあって、大久保はNPO法人を立ち上げたのかなぁ。これ、この三年まったく動かせていないですが
今後、動かしてきます。その為には、自己資金をつくること。他人のお金や、補助金、助成金、税金をあてにして、それをもとにNPO活動をしようとするから、変なことになる。
もう、自分で資金を作って、それで回す。と、そんなことをちょっと思いました。
あなたの理不尽、お聞きします。それで救われるのなら。
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